Phillia’s point of view.
Tea Party, Friend and Gallant White Flower [Part 1]
二十年生きて、いや前世も合わせると四十数年生きて初めて知ったのだが。
In my twenty years of life,
どうやらわたしは“お茶会”なるものが苦手らしい。
「まぁ、こちらの梨のタルトはたいへん美味しゅうございます」
「こちらのショコラも美味しくてよ。お酒がきいていてちょっぴり大人の味だわ」
「レディ・エリザベッタの料理人は最高ね」
「アダーリ伯爵家の料理人にはとても勝てませんわ」
「ねぇ、レディ・セレステのドレス独創的で素敵だわ」
「そうね、マダム・ホワイエの作でしょう? でもレディ・チェリアもよくお似合いですこと」
まず序盤の褒め合い合戦ですでに疲労している。
この場にいる中で一番身分の高いわたしは、もちろん最初に褒め殺しを終えていて、あとは互いに褒め合っているのに微笑んで相槌を打ちつつ、全員が平等に話題に上がるように気を配らなければならない。
ここは王宮の数多い中庭のひとつ。
広大な王宮は王族のみしか入れない場所も当然あるが、議会場などがある行政区域や、広く一般市民も出入りできる図書館などのある解放区域、そして貴族と一部の富裕層のみが立ち入りを許される区域があって、ここは最後の部分に当たる。
まだ親の庇護下にある令嬢たちは自らサロンを開くことはないので、大勢と交流しようとする場合既婚女性の開くサロンに招待してもらうか、王宮の貴族区域にある中庭や東屋などでお茶会を開くのが最近の流行らしい。
らしい、と他人事のように言ってしまうのは、今までは全く縁のなかった事だからだ。
わたしは貴族間の付き合いをなるべく避けていて、特に同年代の令嬢たちとの交流は最も避けるべきものだった。
ゲームの中でのフィリアはいつも見せびらかすように大勢の取り巻きを連れていた。
彼女と同じ道をたどるつもりはなかったが、わたしは同年代のご令嬢ヒエラルキーの頂点にある身だ。自分が意図しなくとも周囲に群がられ、派閥ができてしまうかもしれない危険を考えれば、彼女たちに近づく気にはなれなかった。
そのわたしがこの所積極的にこういう場に顔を出しているのは、単純に女友達が欲しかったのもあるが(ジュリオは恋話に付き合ってくれない)、将来公爵家を継ぐことを考えると社交上必要になってくるからだ。
実務的な部分はルカと優秀な家人がいるので心配はいらないから、当主としてわたしがやるべきは象徴的な部分ということになる。社交もそのひとつで、特に女性の社交界とは男性には立ち入れないけれど侮れない力をもっていて、わたしは女公爵としてそこを掌握しなければならない。
現在の女性社交界のトップにある王妃様初め母親世代の貴婦人たちにはわりと可愛がられているが、将来は現在の女傑たちの跡を継ぎ、王太子の妃となる方を支えるのがわたしの役目だった。
そんな壮大な目標を持って令嬢達のお茶会に参加しているのだが……これが疲れる。
悪い子たちではない。女性特有の見栄の張り合いはしても、箱入りで育てられたお嬢様達なので、そもそも悪意という感情には縁遠いのだろう。
ただ、わたしは毎回恐ろしく疲労する。
まずお天気の話題から入り、本日の装いやお菓子の品評や蘊蓄を語った後は最近流行っているものの話になり、そして社交界の噂話だ。最後のものは大半が男性の話である。
「そういえば、最近ラウレンツ様のお姿が見えないわね。ベルトッキ男爵夫人がヤキモキしてましたわよ」
「あら、あのお二人まだ続いてましたの?わたくし、コローナ座の女優と懇意にしていると聞きましたけど」
「ラウレンツ様は申し分のない男性ですけど、あの遊びの過ぎるところが、ねぇ」
「まだ婚約者のいない上流の跡継ぎとしては一番の優良株ですけど……」
「あら、わたくしアメデオ様のほうが素敵だと思いますわ」
「アメデオ様のほうが爵位は上ですけど、容姿ならラウレンツ様でしょう」
「婚約者がいない、といえば殿下では? もちろん私のような者は恐れ多いですが、美しくて男らしくて、見ているだけで幸せですわ…」
「でも見ているだけでいいというならばやっぱり……」
令嬢達の視線が一斉にこちらへ向けられ、半分聞き流していたわたしはぎょっとした。
「一番麗しいのはルカ様ですわ。言葉にできないほど美しくて、初めて拝見した時はぼうっと見惚れてしまいましたもの」
「この前行ったトレノ大聖堂の天使像を見て、ルカ様を思いだしましたわ」
「分かりますわ、神々しくて、その辺りの俗っぽい男性と同じにするのが失礼な気がしてしまうのね」
彼女達がうっとり語る“ルカ様”に、わたしは頬が引き攣りそうになった。
ルカは確かに美しくて子供の頃はそれこそ天使のようにほわほわした子だったが、今は普通の男性同様、いやそれ以上の欲望やちょっと度の過ぎた嫉妬の感情だってある。
美形は見た目で得をするのだと実感しつつ、もちろんルカの実態など暴露したりせず鷹揚に微笑む。
「婚約者を褒めてくださってありがとう。皆様がそんなふうに言う方と結婚するなんて、なんだか今からどきどきしますわね」
「フィリア様とルカ様はお似合いですわ! フィリア様の隣に立って相応しいのは、やはりルカ様ほどの方でないと」
「えぇ、殿下の妃になられて国一番の女性になるものと思っておりましたが、ルカ様との一対はもう……夢のようですわ」
繰り返すが、悪い子たちではない。
男性の話に打算が混じるのも、どこかの性格の悪い騎士が聞いたら『女性は選ぶ男で生活が変わるから必死だね』とでも言いそうだが、実際彼女たちの未来は結婚相手で決まるのだ。前世の世界で少しでも良い学校や良い会社に入ろうとしたように、彼女たちは少しでも良い結婚相手を見つけようとするのは当然だった。
だからそれが不快なわけではなく、このふわふわ甘いばかりのような会話に、わたしのような精神年齢アラフォーの女は気後れしてしまうのだ。
前世で女子会といえば、七割下ネタで三割悪口という女ならではの楽しみを知った身としては、このお茶会は麗し過ぎた。
いつものように自分の汚れ具合に疲労しつつお茶会を終えたわたしは、付き添いのアンジェラと共に馬車泊りへ向かう……つもりだったのだが、面倒なことになっていた。
「お美しいお嬢サン、どうかお名前を教えてくだサイ」
わたしの手を取り手袋越しに何度も唇を押しつけてくるのは、よくいる紳士とは少し違う派手な格好をした男だった。
平均して背が高いこの国の男性よりも小柄でがっしりした体躯、少し色の濃い肌、それに派手な衣装と訛り具合からして、南の貿易大国の貴族……もしかして大使クラスかもしれない。
国外の相手には、国内随一の公爵家の令嬢とはいえ下手な対応はできない。
わたしは手から全身に広がりそうな鳥肌を押さえつつ、礼儀正しく、だが隙のない笑みを浮かべた。
「申し訳ございませんが、我が国では未婚の娘が見知らぬ殿方に名を教えたりすれば、慎みのない者だと言われます。どうかわたしを淑女でいさせてくださいませ」
「オウッ……なんて奥ゆかしいデスね。大丈夫デス、我が国では美しい女性を口説くのは男の義務デスから。さぁ、ワタシの運命の愛しい人、名前を教えて……」
意味は理解できているようなのに、会話が成り立たない。
踵の高い靴を履いたわたしより少し背が高いだけの男が、ニヤけた顔を近づけてくる。
強引なだけあって一般的には美男と言われる顔なのだろうが、欲望をちらつかせた男の顔というのは好きな相手以外は目に嬉しいものではない。
今にも手を伸ばしてきそうな男の顔面を扇で叩いてやりたい衝動に耐えていた時。
「―――セブロ大使閣下、その女性から手をお離しください」
涼やかな声が聞こえたかと思うと、わたしは白い騎士服の背中に庇われていた。
「この御方は両陛下が大切にされているラ・ローヴェ公爵家の唯一のご令嬢にございますゆえ」
「な……あ、あのラ・ローヴェ公の娘デスかっ」
わたしの視界にはすらりとした背中と項で結ばれた長い銀髪しか見えなかったが、大使だという男がひどく動揺したのが分かる。国王夫妻より父の名に反応するとはどういうことだ。
「し、失礼いたしまシタ、このことはくれぐれ公には内密に…」
「えぇ、噂にならぬうちに閣下がここを離れていただければ」
「も、もちろんデス」
某国大使が足音高く逃げていくと、目の前の背中がくるりと振り向いた。
「大丈夫ですか、レディ・フィリア」
涼やかでいて芯のある声の持ち主は、その声に相応しい容姿だった。
銀髪に薄水色の瞳、磁器のような白い肌。腰に剣を佩いているというのに荒々しい気配が微塵もない中性的な美貌は、まさに騎士物語の主役に相応しい気品と清廉さを湛えている。
「レディ・フィリア?」
ルカの美貌を見慣れたわたしでも目を奪われる美しい青年に名前を呼ばれ、はっと我に返る。
「申し訳ありません、助けていただいたのにお礼も申し上げず…」
「いえ、騎士として当然のことをしたまで。礼を言われるようなことではありません」
そう言って凛とした表情を崩して爽やかに笑った彼は、まさに騎士中の騎士。
どこかの変態騎士とは大違いだと感心しながら、わたしは丁寧な礼をとった。
「そのお心映えは素晴らしいと存じますが、どうかわたしの気持ちのためにお礼をさせてください。ご存じのようですが、わたしはフィリア・デ・ラ・ローヴェ。助けていただいてありがとうございます。失礼ですが、お名前を伺っても?」
後日公爵家の名で礼をせねば、と聞いたわたしに、彼は気負いなく答えてくれた。
「レディ・フィリアにご挨拶できて光栄です。私はミケーレ・デ・クローチェと申します」
その名を聞いた瞬間、わたしは唖然とした。
「……ミケーラ・・デ・クローチェ侯爵令嬢……?」
「あぁ、ご存じでしたか。任務中はミケーレと名乗っているので、つい」
彼、いや彼女は、驚きのあまり不躾になったわたしの問いに爽やかに微笑んで頷いた。
貴族名鑑の主要な名は記憶しているので、クローチェ侯爵家令嬢の名前も覚えていたし、すぐに思い当たった。
だがわたしにとってミケーラはうちとは縁の薄い侯爵家の令嬢というだけでなく、騎士ルートでヒロインのライバルとなる女騎士だということだった。
彼女はクローチェ侯爵家四姉妹の末子で、息子が欲しかった父に男子のように育てられた。本人も騎士に憧れ、近年女子にも門戸を開いた騎士学校へ通い、三歳年上だがラウレンツの同期となる。剣の天才だが軽薄なラウレンツをライバル視しながらも、内心は捨てきれない女性の心で彼を想い続けている……というのがゲームでの女騎士ミケーラの設定だ。
ゲームと現実に齟齬そごがあるのはもう分かっている。性格はもちろん、容姿だって二次元と三次元では共通点はあっても同一ではない。
しかし彼女ほどゲームとの違和感が大きい人は初めてだった。
ゲームの中のミケーラはもっと明らかに女性だと分かったし、無理をして男装の騎士として振る舞っている張り詰めた気丈さがあった。
だが目の前のミケーラは完璧な爽やか美青年騎士で、それがごく自然だった。
「レディ・ミケーラ、いえクローチェ侯爵令嬢……」
「どうぞミケーラとお呼びください。もちろんミケーレでもかまいません」
「ありがとう、わたしもフィリアと呼んでください。あの、ミケーラはわたしを知っていらっしゃったの?」
引きこもり気味のわたしと彼女は初対面のはずだ。最近ルカと様々な催しに参加するようになるまで、わたしの容姿すら知らない人が多かった。
なぜ、と疑問を表情に出すと、ミケーラは何でもないことのように答えた。
「もちろん存じておりました。貴女こそ私が将来お仕えする方だと思っておりましたので」
「? どういうことかしら?」
「私は現在王妃様のお側に仕えていて、将来は次代の王妃様の筆頭騎士となるのが目標なのです。あの馬鹿殿下…失敬、王太子殿下の妃となりこの国を支えていかれるのは、ラ・ローヴェ公爵令嬢たる貴女しかいないと思っておりました」
いま思い切り馬鹿殿下という言葉が聞こえた気がするが、ミケーラは凛とした真剣な表情で語っているので空耳かと聞き流す。
「それは何と言うか、期待にお応えできず申し訳ありません」
「いいえ、こうしてお会いしてあの馬鹿に貴女は勿体ないと確信しましたので、お気になさらず」
やっぱり馬鹿と言った。しかももう敬称もつけていない。
わたしはゲーム設定ではなく貴族名鑑の情報を思い出した。
「あの……ミケーラは確か、王太子殿下の従姉弟なのですよね?」
「えぇ、王妃様は恐れ多くも私の叔母にあたりますので」
「王妃様をご尊敬申し上げていらっしゃるのね」
「もちろんです。役目としてではなく、心からの忠誠を王妃様に捧げているからこそ、お仕えしているのです」
「……で、殿下は?」
「王妃様と血が繋がっている以外に取り柄がない、あの傲慢で柔弱ヘタレで節操のない馬鹿のことですか? 小さい頃から存じていますが、国王として仕えても誠心から剣を捧げるのは無理ですね。そもそもムサイ男に仕える気はありません」
なんだか彼女のことが好きになってしまいそうだ。ただ、ゲームキャラと関わることは慎重にいかなければ……。
わたしが躊躇っていると、ミケーラがふと表情を柔らかくした。
「婚約が発表されてから、一度貴女と話してみたいと思っていたんです」
「わたしと? 先程の話を?」
「いえ、そうではありません。……私の婚約者も年下なので」
婚約者、と言う時だけ少しはにかんだ女性の顔になったミケーラに、ついきゅんとしてしまった。一応年上なのに可愛い。
いや、ときめいている場合ではない。ミケーラに婚約者がいるのはゲームにはなかったことだ。
「婚約者がいらっしゃるのですか? 存じませんでしたわ」
「相手がまだ成人していないので、公にしていないのです。来年彼が十八歳になったら公表と同時に公示する予定で……私の方が年齢差はありますが、ルカ殿も十八でしょう? 同じ年下の夫を持つ身になる者として、色々聞いてみたくて」
来年十八歳、ということはラウレンツではない。ミケーラのこの様子では、その婚約が政略だけというわけではなさそうだ。
「それは嬉しいですわ。ミケーラ様はその方がお好きなのですね?」
「えぇ、もう可愛くてたまりません」
「そ、そう。わたし、勝手にミケーラ様は同じ騎士をお好きになるんだろうなと想像してしまいましたわ。例えば……チェザーリ様とか」
少し強引に話を振ると、ミケーラは白い歯を見せて笑った。
「はははっ、あの見境無く大勢と関係を持ちながら内心で女を見下して趣味はお堅い人妻の攻略と公言するような変態嗜好の男は、あそこが腐ってしまえばいいと思っていますよ」
わたしは確信した。彼女とは親友になれる、と。
「ミケーラ、わたしもあなたともっとお話してみたいわ。…お友達になってくださいませんか?」
この年になってこんなことを言うのは照れ臭く、頬が熱くなるのを感じながら何とか言いきった。
すぐに頷いてくれるものと思ったミケーラは、笑みを消して真顔になる。
「申し訳ありませんが、そのお申し出を受けるわけにはいきません」
「え……」
意外な返事に驚くわたしの前に、ミケーラは流れる様に優雅な所作で跪いた。
「貴女の方から言わせてしまったことを謝罪させてください。私のほうから乞うべきでした」
ミケーラはわたしの手を取り、触れるか触れないかぎりぎりのふわりとしたキスを落とす。
「……フィリア、常に誠実に、そして大切にすると誓うから、どうか私の友となって欲しい」
「っっっ!!」
い、今いけない世界をかいま見てしまった。
「……だ、だめよわたしにはルカが……」
「フィリア?」
「え、あ、ごめんなさい。取り乱してしまって」
挙動不審になってしまったこと誤魔化すように咳払いして、わたしは心から笑みを浮かべた。
「もちろん喜んでお受けするわ、ミケーラ。あなたとは素敵なお友達になれそうですもの」
「ありがとう、フィリア」
ミケーラは立ち上がり、わたしの両手を握ってにこりと笑った。
やはり爽やかすぎる彼女は、わたしが知っている中で一番の騎士らしい騎士だった。